和歌山カレー事件のあらまし
1998年(平成10年)7月25日
和歌山県和歌山市園部地区で発生した毒物混入・無差別殺傷事件である
1998年(平成10年)7月25日の夕方、和歌山県和歌山市園部地区で開催された夏祭り会場(14自治区のごく小さなコミュニティ)
において、地域住民の主婦ら20数名で作られ提供されたカレーに毒物が混入されていたことから、
その場で食事した人あるいは、持ち帰って食事をした人が、結果67人が急性ヒ素中毒(うち4人が死亡)
となった毒物混入・無差別殺傷事件です
この事件は、いわゆる”和歌山毒物カレー事件”あるいは”和歌山カレー事件”と呼ばれています
警察の捜査により、同年、10月4日早朝、近所に住む住民で主婦の林眞須美が被疑者として逮捕されました
この時の逮捕容疑としては、カレー事件ではなく、保険金殺人未遂、保険金詐欺容疑での逮捕となりました
その後、カレー毒物混入事件・保険金殺人未遂事件・保険金詐欺事件の合計9件で起訴されました
林眞須美被告は、刑事裁判で無罪を訴えましたが、第一審の和歌山地裁で死刑判決を受けました
そして控訴・上告も棄却されたために、2009年(平成21年)5月19日に最高裁判所で死刑が確定しました
祭り会場、カレー調理のガレージ、林家の自宅の見取り図
林家について
家族構成:
夫 林健治 1945年生まれ 事件逮捕時53歳 シロアリ駆除事業を1992年まで経営 1983年に眞須美被告と再々結婚
妻 林眞須美 1961年生まれ 事件逮捕時37歳 看護学校卒業後、林健治と結婚 その後、保険外交員として働く(眞須美被告の実母も保険外交員)
長女 当時中学3年生 のちに再婚後、実娘(長女)への虐待による死亡の直後、実娘(次女)と無理心中を図り母娘共に亡くなる
次女 当時中学2年生 近況不明
長男 当時小学5年生 2019年頃より、会社員として働く傍ら、SNSを中心に実母眞須美被告の冤罪を訴え、メディア等、積極的な冤罪を訴える活動を行っている
三女 当時4歳 幼稚園程度 近況不明
林健治は、1992年(平成4年)4月頃に経営しているシロアリ駆除事業を廃業した
和歌山カレー事件で逮捕、起訴された林眞須美被告の冤罪疑惑 動機なし、物的証拠なし、自白なし
近年、林眞須美被告が起訴された和歌山カレー事件の殺人未遂、殺人容疑について、冤罪ではないのか?という声が上がっています
林眞須美被告の長男氏は、その先鋒的存在で、書籍出版、映画製作、動画メディア取材対応、自身のSNS発信、講演などなど、仕事の合間をぬって精力的に活動されています
冤罪の大きな理由として
1 物的証拠がない
2 動機がない
3 自白していない
というものが挙げられます
物的証拠について
和歌山カレー事件の冤罪理由1 物的証拠について
たしかに、物的証拠はありません
しかし同時に、アリバイを証明するものもありません
ところで、林眞須美被告が逮捕されたのは、1998年10月4日です
事件発生日が1998年7月25日ですから、逮捕までたっぷり2か月あったわけです
バイアスがかからないように、フラットな心情でそれぞれの立場で考えてみますが、
誰が犯人だとしても、まずは、証拠の隠滅に動くのが自然です
日に日に、マスコミによるメディアスクラムが組まれ、警察当局も林夫妻へのマークはしていたと思います
が、それでも廃棄するチャンスはあるわけで、、、、
私が犯人なら、ふつうに水回りから(トイレ、洗面台、風呂場など)から下水に流し込みます
見張りの目がなければ、ごみの投棄と同じように、すぐ横の用水路へ捨てる手段もあります
現に、健治氏は保険金詐欺に使用したヒ素を廃棄したと証言しています
さて、この状況証拠についてですが、物的証拠が提示できないため、いくつもの状況証拠を積み重ねて、
結果的に警察当局は立件までたどり着きました
結局のところ、最大の謎でありポイントとなる、いつ、だれが、ヒ素(毒物)を混入したのか?
という点に尽きます
時系列で混入のタイミングを検証
午前8時から主婦らが集まり始め、8時半から調理開始
完成前の11時30分に主婦らが、東鍋と西鍋両方の鍋の他、おでん鍋も含めてすべて味見をしたが、異常なし
12時前の時点でカレーは完成し、アルミホイルの蓋をし、火を止めた
もし、この時点でヒ素が混入されていれば、午後には味見をした被害者が出ているはずですので、
午前中の混入の可能性は無い物と判断できます
午後からは、交代で見張り当番をする事が事前の会議で決まっています
会議では、当番は当初、見張りは1人となっていましたが、暇だという事で2人態勢での見張りという事になりました
が、、、、このいくつもの状況証拠(警察側は1500件にのぼると発表)の中でどう考えてもあからさまな”でっちあげ”
と思われるものがあります